2017年02月01日

浅間ビルが解体されて

 静岡市葵区にある静岡浅間神社は紀元前より歴史を有する由緒正しき神社です。
私はこの近所で生まれ育ったこともあり、とても身近な存在です。
浅間神社

 浅間神社とセットで思い起こされるのが、宮ケ崎商店街や脇に位置する交番などの周辺の建物や景観です。
赤鳥居

 東側に面する西草深公園、そして、この公園と浅間神社の間にあった浅間ビルと称される市営住宅も浅間神社を取り巻く景観の一部でした。
浅間ビルの位置
赤の部分が浅間ビル。左側が浅間神社、右側が西草深公園。

 西草深公園と浅間ビルのあった場所は、江戸時代には浅間神社の神主さんが住む館があったらしいです。明治維新後、この館に徳川16代徳川家達が一時的に居宅として使用したとのこと。この場所もまた由緒正しき場所ということになります。

 時代が変わって、昭和20年代。浅間神社の前には川が流れており、そこには戦災で家を失っていた人達が住んでいたそうです。また、小さな商店がいくつもあったそうです。静岡市ではこの人たちを住まわすために市営住宅を建設します。それが昭和34年に建てられたこの浅間ビルです。

 浅間ビルは鉄筋コンクリート造4階建て。2階~3階は集合住宅でしたが、1階には長屋式に小さな商店が立ち並んでいました。和菓子屋さんなど、いくつかのお店を思い出します。浅間ビル2014

 浅間ビルは2棟あり、その間の通路を通って浅間神社側から西草深公園に行き来する事ができました。

 西草深公園は浅間神社で行われる行事で補助的に使われることもあり、毎年4月に開催される廿日会祭では、山車の出発地点となっていました。

浅間ビル2棟の合間から浅間神社会館が見えます。(2016年4月撮影)

 この建物、ファサードの構成要素がすっきりしていて、今の時代に見てもかっこいいなーと感じていました。建設当時はモダンに見えていたのではないでしょうか。

 築50年が過ぎ、塗装が剥げていたり、破損している部分も多く、取り壊しになるというのは、やむなしという感じです。元々、戦災の復興のために建てられた建物で、その使命を立派に果たしたんだと思います。

 解体は昨年10月に始まりました。
浅間ビル 201610
(2016年10月26日撮影)

 建物自体のデザインはともかくとして、この建物が西草深公園と浅間神社の間を塞いでいたのは事実です。

 私は勝手に妄想したことがありまして、この浅間ビルの1階の店舗部分がなくて、浅間神社と西草深公園の間が自由に行き来きでき、また人間の目線の高さで視覚的につながっていれば、もっと一体感があるのにな、と。ル・コルビジェのユニテ・ダビタシオンのように。

 さて、昨日、現地を通ったら、解体工事もかなり進んで、ほぼ更地の状態になっていました。

(2017年2月1日撮影)

 建物がなくなるのは寂しいことですが、ここで俄然、目立っているのが、西草深公園の大木です。青々とした葉が風にまばたき、ゆうゆうとそびえ立つ姿は貫禄さえ感じさせます。

 そして、この大木は、本当は浅間神社の木々たちの仲間ではないかと思えてきました。浅間ビルがなくなって、西草深公園、浅間神社の双方の大木が互いに見えるようになったのです。そして大木たちが挨拶しているように思えます。「やあ、ひさしぶりだな」と。




 静岡市に問い合わせたところ、この浅間ビルの跡地をどのように利用していくか、まだ決定されていないそうです。

 浅間神社にとっても重要な場所であり、景観的にも機能的にも配慮の行き届いた総合的な発想が求められていくべきと思います。

(片桐秀夫)
  


Posted by machi at 15:17Comments(1)まちづくり